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伊豆・田舎暮らし・情報

essay-気の向くままに
渋い柿

 柿がおいしい季節です。うん?もう遅いのかな・・・
今が旬の柿が長野に住む弟から送られきたのです。小学生の握りこぶしくらいの大きさで、まだ早いかなと思うような色(カキ色ではなくて薄黄色)の柿。甘味は薄くしゃきしゃきとした歯応え、私にとってはとても懐かしいものです。実家の裏庭にあって、父が木に登って取ってくれ、朝露にぬれた柿を食べた思い出があります。登った枝が折れて父が落ちたという記憶もある柿。

 伊豆に移ってからは、柿といえば良く熟れた赤い柿を買って食べるのが普通でした。あるいは、渋抜きをした柔らかいのをご近所から頂いたりしました。

 子供の頃食べた柿の話をしながら送られてきた柿を食べました。いくつか食べるうちに、中に渋いものが混じっていて、そうと知らずに口に入れた息子の顔! 口から吐き出すことはしなかったものの(差し出された食べ物を吐き出したら悪いと思ったのでしょう)、私の方を見ながら何とも異様な表情です。「渋い味」というものを知らなかったのです。この柿は、甘いのと渋いのが混じっていて、皮をむいて見なければわからない。そして皮をむいたらヘタが付いていた方から食べるんです。そういった食べ方のある柿。皮を剥いたときにわかったのに黙って差し出した私は、意地が悪い。

 私がもう30年近くも「渋い柿」を口にしていない。ということは、息子は「渋い」という味を知らなかったのです。今まで気づきませんでした。柿はもちろん、ブドウにもリンゴにもナシにだって若い実は渋みがあって、田舎の子はその味をいっぱい経験しながら育ってきました。家の庭に柿の木があるような暮らしの子以外は、今はほとんどがうちの息子と同じではないかと思うのです。そうだとしたら、今の若者の多くがその分だけ味覚が貧しいと言えましょうか。

 渋みはタンニンですから単に柿の渋のように不快な味だけでなく、日本茶、紅茶、赤ワインなどに含まれて総合的な味わいの一役を担っているのですよね。渋みを知らずに育つと「渋みのおいしさ」がわからないので、彼らが大人になった時にはお茶やワインはほとんど飲まない世の中になる・・のだろうか? だから、(飛躍かもしれないけれど)辛味を取った大根、イボイボの無いキュウリ、エグミの無いほうれんそう、匂いの無いトマトなど消費者に媚びて野菜が改良(?)されいていくのは問題なんです。こういうのを、知った風に言えば「豊かさの中の貧しさ」なんて言うんでしょうね。
                                    
05.11.15
 

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